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前回の記事の続きで、エジプト旅行5日目に訪れたエジプト考古学博物館について引き続き書いていきます!
書記の座像
この書記の座像はエジプト好きは、本などでみたことない人がおらんかも。というぐらい有名な像です。

こちらは、前回の記事で最後に紹介したラーホテプとネフェルトの像と同じ部屋に展示されています。
この書記座像は、サッカラで発見された第4王朝(古王国時代)(クフ王などピラミッドが盛んに作られた時期)の像です。
エジプト文明で書記といえば、男性が就くことができる職業で、さらに文字が読めて書けなければ書紀になることができません。そのために書記というのは、ものすごく勉強した超エリートがなれるかなり上級の職業だったとされています。階層で言うと、王の次の階層に書記、神官、貴族がいます。
書記の像は基本的にこのように、座ってパピルスの巻物を開いている姿で作られます。
この像も目に多分水晶が埋め込まれていて、とても綺麗な目をしてます。
某有名ブランドのバッグ?を背負った小像
パッと目に入ってきて、これは現代の人が見たら某有名ブランドにしか見えんバッグを背負った像がありました。

んー、デザインが、本当にそれっぽい。(笑)
誰か特定の人というよりは日常のワンシーンって感じで作られたんだと思うけどバッグのデザイン可愛すぎんか、、。こーゆー派手なデザイン本当に好きすぎるけそれも含めて記念に写真を撮りました。エジプト考古学博物館に行った際はこの像を探してみてください😂たしか古王国時代の部屋にあったと思われます。
メンチュヘテプ2世の座像
メンチュヘテプ2世についてはこちらの記事で書いているのであわせて読んでみてください!

このメンチュヘテプ2世の像もまた、あまりにも有名。石灰岩に黒く色彩された像で、ディール・アル=バハリという今のエジプトのルクソールにある地域のメンチュヘテプ2世の葬祭殿で見つかりました。
下エジプトの象徴である赤冠を被り、セド祭で着用する白い服を着ています。肌が黒くされているのは再生の意味があり、オシリス神という再生、不死の神と同一視していることを表しています。
※セド祭についてはこちらの記事に書いてます。
足がとてつもなく太く作られているのは第11王朝(中王国時代)の特徴でもあります。

像はすごいシンプルな作りだけど顔とパーツ一つ一つの大きさから威厳というかなにかそーゆーものを感じる。
センウセレト1世の柱
センウレセト1世とは、第12王朝(中王国時代)の王です。父親であるアメンエムハト1世に親子として初めて共同統治者に任命され、王位の継承を確実にしました。

この柱は、カルナック・アメン神殿の第7塔門前の中庭にある大きな穴に埋められていた、遺物の隠し場所から見つかりました。
柱全体でゆうと、センウセレト1世が異なる神様を抱きしめていて、王と神々は全て同じ大きさで描かれています。
私がこの柱の一部に描いてあるもので気になったこの写真は、左がメンフィスで主に信仰されていた創造の神であるプタハ神、左がセンウセレト1世です。この柱全体で王に長寿、安定、権力を授けるための祈願の意味が込められているとされています。
口元が黒くなっているのは、訪れた観光客が自分に長寿と安定と権力を求めてここを触りまくった跡だと思われる。だいたいエジプトの遺跡とか像とか、こーゆーふうに黒くなっとるところは観光客が触りまくった跡。(笑)
ハトシェプスト女王のオシリス柱頭部
ハトシェプスト女王についてはこちらの記事で書いているのであわせて読んでみてください!

あまりにも美しすぎるこのハトシェプストの頭部。これは、上で紹介したメンチュヘテプ2世の座像と同じくディール・アル=バハリにある、(メンチュヘテプ2世の葬祭殿の隣の、あとで紹介するトトメス3世神殿の隣)ハトシェプスト女王葬祭殿の第3テラスにあるオシリス列柱の一部になります。
とにかくハトシェプストは女性でありながら、ほとんどの像やスフィンクスなどが男性的な表現で作られることが多いです。この柱の一部の頭部も、付け髭をつけていたり皮膚の色が赤く塗られていたりと、男性を表すような姿で作られています。
知らずに見ると、あまりにも偏見とかではなくなぜか男性のように見える気がする。
トトメス3世の像
まずトトメス3世とは、ハトシェプスト女王と同じ第18王朝(新王国時代)の王です。ハトシェプスト女王の夫であり、女王の前王であるトトメス2世の死後トトメス3世が幼いながらに即位して、ハトシェプスト女王はトトメス3世の摂政になりました。
トトメス3世はハトシェプスト女王が亡くなった後、正式に王になりました。

この像は、上で紹介したハトシェプスト女王葬祭殿の隣にあるトトメス3世神殿で見つかりました。メンチュヘテプ2世のお墓を発掘しているときに見つかったものだそうです。
トトメス3世に関しては王としての功績が個人的にすごく多いと思っていて、まず領土を広げるため、国を豊かにするために何度も遠征を行いました。そのことについて、カルナック・アメン神殿(現在のルクソール)というところにある巨大な神殿の壁に、約20年間で17回のアジア遠征を行ったことが描いてあります。その甲斐あって、シリア・パレスチナの都市の多くを制圧しました。(壁画に描いてあります)
軍事遠征を頻繁に行って、エジプトの領土をエジプト文明史上最も広げた王でもあります。
カルナック・アメン神殿には他にもトトメス3世に関することがたくさん壁画に描かれとるけど、ここでは省略します。
次回の記事では、エジプト考古学博物館内の今の多分一番の見どころであるプスセンネス1世の信じられんぐらい黄金な副葬品などを紹介しようと思います!
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