前回の記事から、ハトシェプスト女王の葬祭殿を訪れた時のことについて書いているのでそちらも見てみてみてください💕
では続きいきますっ✨
ハトシェプスト女王の葬祭殿の第二テラス
前回の記事にも書いたように、ハトシェプスト女王の葬祭殿は、第1テラス、スロープを登って第2テラス、またスロープを登って第3テラスがあります。
この記事では、第2テラスの列柱廊にある美しすぎるレリーフなどを紹介していきます!
第2テラスのレリーフ
まず、ハトシェプスト女王の葬祭殿といえばプント遠征のレリーフ。
プントとは、古代エジプト語でそう呼ばれている場所で、今の南スーダンからエリトリア辺りにあるとされている地域です。
ハトシェプストは軍事力をあげたりとか戦いが目的ではなく、エジプトにはない植物や動物などを国内に持ち込むことを重視していました。
よく考えると、彼女が戦っとる姿って見たことないかも、、。

このレリーフはレプリカで、この部分はエジプト考古学博物館に展示されています。
ここに描かれている女性はプントの女王です。異国の女王が、王の葬祭殿に描かれるってものすごいことだなあと。
王は、権力を示すために。とか自分が一番優れとる。とか、如何に自分が強いかとかとにかく王権の力を見せつけるような像とか壁画や建物を基本的に造ると思うけど、ハトシェプスト女王はそーいったタイプではないような気がする。と、残された壁画を見て思う。
※ここからは写真の色が薄いので濃く編集してます。

これは、プント遠征から持ち帰ってきた魚など。エジプトでは見かけられんけど、実在する生き物がここに描かれてとるのがリアルというか。
色も綺麗に残っていて、ハトシェプスト女王の功績が生で見れたような気がして嬉しすぎた、、。

これは、遠征時の航行の様子です。
エジプトとは陸続きだけど、プントが紅海側にあったとされているため、船での移動の様子のが描かれています。
たくさんの船にたくさんの人が乗って、たくさんの異国のものを持ち帰ってきて国を豊かにして、最初はトトメス3世との共同統治から始まったものの、国を豊かにするためにしっかりと責任を持って尽力を尽くしたカッコ良すぎる、、。

この壁画の下の方にはライオンがいます。
当時エジプトにライオンが生息しとったかはわからんけど、これまで見てきた壁画の中で動物としてのライオンを見たことなくてマジ感動、、。
ライオンも連れて帰ってきたんかな。だとしたらどーやって捕まえて、どーやって持ち帰ってきて持ち帰ったライオンをどうしたんかな?気になる。

これは、ハトホル女神の化身である牝牛の乳を飲むハトシェプストが描かれています。
ハトシェプスト女王の葬祭殿の壁画って、それまでの壁画の基礎に沿って描かれてはおるけど、なんか壁画を見て読み解けるというかわかりやすい壁画というか。
ハトホル女神の乳を飲む=ハトシェプストが神の子であるということ。ってのがわかるし、遠征に行った先の国の王とも良好な関係だったこと。とか。
この見たことない生き物と生き物が交わっとるけ国を統一したみたいな、独特な表現で素人には難しい描き方をしてなくてすごい人間味があるなあって思った。
他にもレリーフはいっぱいあるけど、素人の限界はここまで。(笑)
もっと遺跡の壁画について学ぶ必要がある、、。
ハトホル女神の礼拝所
葬祭殿の中には、ハトホル女神の礼拝所があります。

この葬祭殿があるデイル・エル=バハリという場所は当時ハトホル女神の聖域だったため、ここにはハトホル女神を祀った礼拝所がしっかりと設置されています。
この牝牛の頭部の柱は本当に圧巻。修復はされとるけど頭部の状態はかなりいい。
申し訳ないし恐れ多すぎるが、ここに住みたい、、。ハトホル女神に守られて生きたい、、。とか思いながら観光の時間はあっという間に終わり。
人生で絶対に一度は来たかったここに来れたことは本当に満足。だけどやっぱり時間が足りなすぎるし、全てを理解したかった、、
いずれまた1日中ここに滞在することを目標に頑張っていこう。

最後に第2テラスに降りるスロープからの迫力ある葬祭殿をどうぞ。🎥
王家の谷
ハトシェプスト女王の葬祭殿のあとは、念願の王家の谷へ、、。
王家の谷とは、第18王朝〜第20王朝(新王国時代)の王の墓地です。王朝毎にお墓の造りが変わっているのも興味深いです。現在、64基の応募が発見されています。
現在、ここに埋葬された有名な王のミイラの一部はNMEC(国立エジプト文明博物館)に展示されています。
このKings Valley(KVと略されます)と呼ばれる王家の谷に埋葬された王のリスト(一部)がこちら↓
※発見された順に番号がついてます。
- KV1 – ラムセス7世
- KV2 – ラムセス4世
- KV3 – ラムセス3世の王子
- KV4 – ラムセス11世
- KV5 – ラムセス2世の王子(複数)
- KV6 – ラメセス9世
- KV7 – ラムセス2世
- KV8 – メルエンプタハ
- KV9 – ラメセス5世、6世
- KV10 – アメンメセス
- KV11 – ラメセス3世
- KV14 – タウセレト、セトナクト
- KV15 – セティ2世
- KV16 – ラメセス1世
- KV17 – セティ1世 (イケメン)
- KV18 – ラムセス10世
- KV20 – ハトシェプスト、トトメス1世
- KV34 – トトメス3世
- KV35 – アメンヘテプ2世
- KV38 – トトメス1世
- KV43 – トトメス4世
- KV46 – ユヤ、チュウヤ
- KV57 – ホルエムヘブ
- KV62 – ツタンカーメン
てな感じです。✨
ここでは10年前は全体が写真、動画が禁止だったので何も撮らず、、😖😖😫
マジで写真撮りたかった。けどしっかり守って記憶に刻み込みました。
駐車場からトロッコみたいなのに乗って岩山を登って王家の谷に行きました。本当に写真は駐車場だけ。泣いた〜〜まじ。

日本車多くて嬉しかったけども。😥
王家の谷では、当時はチケット一枚で3つのお墓に入れて、プラスでツタンカーメンのお墓に入った記憶がある。
ツタンカーメンのお墓は、本でえぐいほど見たけど思ったよりも狭くて、壁画が少しだけカビっぽかったというか謎に湿気を感じたのは気のせいかな。
《番外編①》ツタンカーメン王の呪いとは…
私はツタンカーメンについて小学校の時に本で調べたり、テレビを見たりDVDを買って見たりしてそこでツタンカーメン王の呪いというのを知りました。
ちなみに、ツタンカーメンについては以下の記事で書いているので読んでみてください!
ツタンカーメン王の呪いは、ツタンカーメン王墓を発見した瞬間から始まります。
ツタンカーメン王墓があると信じて発掘を続けたハワードカーターが、王家の谷で発掘作業をしている時に階段を見つけました。そこがツタンカーメンの王墓であると確信したカーターが、発掘の支援をしてくれとったカーナボン卿という人に真っ先に一報をいれました。
カーターがテントに戻ったちょうどその時、彼の飼っていたカナリアがコブラに飲み込まれていました。これが、「ツタンカーメン王の呪い」の始まりでした。
でもカーターは当時それどころではなく、すぐに王墓の発掘を再開。そしてそれは本当にツタンカーメンの王墓で、長年の発掘がようやく報われました。
5000点を超える遺物、しかも黄金。歴史を変えるレベルの世界中から注目を集める大発見となりました。
その大発見が故に世界中からいろんな人が集まってきて群がって、作業が遅れたり中断したりとかなりの損失が出てしまうことになりました。テレビ局なども押し寄せすぎて、支援者であるカーナボン卿がイギリス人だったためロンドンタイムズ紙と独占契約を結んでしまい、エジプトでの発見なのに、イギリスのものかのようにしたことに対してエジプト政府が激怒。
カーターとカーナボン卿が発掘された遺物のいくつかを盗んだという噂も、、。
ある日カーナボン卿は蚊にさされ、その翌日に髭を剃った時に感染症にかかってしまい、王墓発見から5ヶ月程度で亡くなってしまいました。
これがいわゆるツタンカーメン王の呪いと言われるものの元ネタみたいなものです。
《番外編②》ファラオの呪いとは…
よく、エジプト文明の話の中で「ファラオの呪い」という都市伝説的な話が出てきます。そう言われる所以となった話をしていきます。
まず、ツタンカーメン王の石棺を開ける瞬間に立ち会った22人のうち6人が亡くなりました。
次に、ツタンカーメン王の副葬品の展示会に反対した考古学者が交通事故で亡くなりました。
ロンドンで行われたツタンカーメン展の契約にサインしたエジプト考古局長官も交通事故で亡くなりました。
私の尊敬してやまないザヒハワス大博士がツタンカーメンの遺物と共に博物館に移動した日に従兄弟が亡くなりました。
次の年に同じように遺物を運んだ日に彼のおじが亡くなりました。
そのまた次の年、また同じように運んだ日に彼のおばが亡くなりました。
といった感じで、ツタンカーメン王に関わるあらゆる人、身近な人が亡くなってしまっているため、それを「ファラオの呪い」とみんな言います。
実際、お墓には呪いに関するものなのがあったり魔術てきな、呪いの文書的なのはいろんなお墓などから見つかっていますが、それが今の死と何か関係があるかと言われたら私は現実主義なのでないと思ってます。(笑)
いろんな人が色々こじつけて、繋げて作り上げた都市伝説でしかないなあと。でもファラオの呪いってのはこれからもずっと語り継がれるんじゃろうな〜。
ということで今日はここまで。引き続き次回の記事でもルクソール西岸の観光について書いていきます💫
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